No.37



☆産経新聞群馬版毎週金曜日掲載で『群馬女性5人のリレーエッセー』が2005年1月からスタートしています。
5週に1回づつ寄稿している浦部農園マダム・オリザの文章を産経新聞の承諾を得て転載します。

No.32 2008.9.26 産経新聞群馬版掲載『群馬女性5人のリレーエッセー』より
 もの皆すべて値上がりの昨今、農業現場でも燃料費や生産資材、機械代、送料など関係するものことごとく値上がりしていますので、この秋の新米から一部商品の値上げに踏みきりました。値上げの波を農園だけでこらえることはできない、でも消費者が離れていったらどうしよう、悩んだ末の決断でしたが、その直後に発覚したのが事故米と称する汚染米事件。おかげさま(?)で、値上げにもかかわらず今年も注文が殺到しています。あれもこれもとつづく不祥事、とりわけ中国が係わっての食の汚染はあまりにもひどい有様ですが、それでも米さえ食べていればそうした汚染食材から身を守れると思っていた人も多いのではないでしょうか。なんといっても米は日本で唯一自給が可能な食材です。それなのに米さえ安心できないとしたら、この先何を信じて食べていったらいいのでしょう。輸入された、それも食用にならない米が市場に出てきてしまうにはまずは国の関与があったことも見逃せません。有機栽培の農産物には生産現場から消費者の手に渡るまでに厳密な基準と完璧なトレーサビリティを要求しているのに、食用にできない米の流通は野放しだったというのもあきれる話ではないですか。その結果として消費者は知らずに毒入りの米を食べさせられ、私たち米農家は1kg10円にも満たない米との価格競争をさせられていたわけです。折しも今年は過剰米対策として一定数量を市場から隔離するためにえさ米として供出せよとの話もでています。安全に作った有機米がえさ米に回されて、カビや毒物で汚染された事故米が食用として市場に流れる。そのいずれにも国が関与しているのですから情けないことです。欲の深い不心得な輩が引き起こした脈絡のない事件とおもえた食の問題も、ここまで来ると構造的な病理を思わずにはいられません。中国からの安い輸入食材がとまったら日本の食糧事情はどうなるのか、かげりが見え始めた日本経済で、安全な食材を獲得し続けることはできるのか、耕作放棄と後継者不足の日本農業はその不足をどこまで補えるのか。6割の人が餓死するよりは将来の健康を犠牲にしてもまずは食べることを優先しなければならない事態は、まさか、おこらないでしょうね。思わず、真顔で問いただしたくなる日本の今です。

農業と食糧 (「じんけん広場」に掲載)
第1回 今世界でおこっていること

 農業と食糧、この一見あたりまえに思える言葉のつながりが、今大きく壊れようとしています。
 古来、人々を養うために栽培されてきた大豆やトウモロコシ、小麦といった穀物は、人が直接食するのか、飼料として用いられるかといった違いがあるとしても、またその農法が農薬化学肥料を多用する栽培方法へと大きな変貌を遂げてきたとしても、現在に至るまではまちがいなく食糧でした。干ばつや戦争などで飢饉や飢餓に直面して食糧を奪い合う光景はこれまでもありましたし、爆発的な人口増加と環境の激変にさらされている現在もなお、世界中で食糧の奪い合いは起こっています。しかし今、これまでとは違った穀物の奪い合いが始まっています。その大きな原因が燃料としての穀物需要です。その結果、作物の豊凶によらない穀物相場の上昇が起こっており、貧しい途上国の人々が真っ先にその影響を被っています。影響は遠い国の貧しい人々にだけ及んでいるわけではありません。7割近くの食糧を輸入に依存している日本では、とどまるところを知らない穀物の高騰にさらされていくことになります。すでに小麦価格の急騰がさまざまな生活用品の値上げを引き起こしていますし、輸入飼料に頼ってきた畜産農家は存亡の危機に立たされています。原油価格の高騰は高いフードマイレージに支えられる日本の食料輸入を危うくしていくことでしょう。世界中から食糧を買い集め、安い輸入飼料で経営を成り立たせてきた養鶏や畜産の恩恵を被ってきた日本人の食卓が、大きく様変わりをしなくてはならない節目を迎えています。ことは値上げだけでは済みそうもありません。たとえば世界最大のトウモロコシ輸出国のアメリカではエタノール需要が急速に拡大しており、米国農務省は今後輸出が減少するとの見通しをだしています。欲しくても買えない、お金を出しても必要な量が確保できないという時代はすぐそこまで来ていると思います。まして今後景気が減速し、経済的にも買い負ける状況に陥ったとしたら、自給率40%をきるこの国の食糧事情で、飢えないですむ保証があるのでしょうか。
 世界の食糧事情が逼迫している中で、日本の食糧自給率を高めることは急務です。定年帰農や、半農半X、農外からの就農希望者の増大など、農業に希望を持って係わろうとする動きもおこっています。けれど、農の現場はそんなには甘くない。設備投資にかかる資金や、ランニングコストもさることながら、何より農業は高い技術を要するきわめて知的で経験を要する職業だということが見落とされています。また、戦後50年の間、農薬や化学肥料に頼り切ってきた農地は本来の力を失っており、耐性を持った病害虫や雑草の出現は近代農法の限界を浮き彫りにしつつあります。さらに地球温暖化の影響からか、近年異常気象が相次ぎ、自然条件に規定される自然農法や有機農法もまた、さまざまな困難に直面しています。
日本ではいのちを養う農業が、政争の具にされたり、利権の構造に組み込まれてきた歴史があります。複雑な助成金の仕組みや統合性のない法体系にさらされて、農業という産業は経済活動としても不健全で未熟なまま取り残されてきました。競争力をつけることもできずに今日に至った日本農業は、WTOウルグアイラウンドの交渉の行方次第では壊滅的な打撃をうけるやもしれません。
いっぽうでは輸入量に匹敵するとさえいわれる、食べ残しや、賞味期限切れによる食品の大量廃棄がおこなわれ、家庭からは伝統食が姿を消し、外食産業や加工食品が幅をきかす社会現象をおもうとき、農業と食糧について、ものを食べるすべての人が立ち止まって考えねばならない時が来たのではないかと思います。こうした状況の中で、安全な食糧を確保し、安心して子供達を養っていくのはどうしたらいいのか、農の現場から思いつくことを発信していきたいと思います。

第2回 今日本でおこっていること

 日本の食糧自給率はカロリーベースで約4割、先進国の中では際だって低いのが特徴です。そのうちお米だけは自給率100%といわれますが、本当にそうでしょうか。今や世界中から輸入する食材で日本人の食卓はすっかり様変わりしていますが、もし輸入がとまったら私たちの食卓はどうなるのか、かつて日本人はもっとたくさんお米を食べていました。輸入食材が激減すればお米だってじゅうぶんとはとは言いがたいと思います。食糧自給率を高めよう、という声は各方面から聞こえてくるのに改善の兆しは見えません。かつて日本と同じような状況にあったドイツは1960年代は日本より低い食糧自給率でしたが、年々生産力を高め、1999年にはついに自給率100%を達成しています。その後多少の変動はあるもののほぼ80〜90%を維持しています。一方日本では1960年からとどまることなく下がり続けた自給率は1993年にはついに37%にまで落ち込みます。その後かろうじて持ち直したものの、1998年以降は40%のままで、改善の兆しはありません。日本と同じような産業構造を持ち、日本と同じような高度成長を経験し、日本と同じように自給率の低かったドイツが自国の国民を養うにたる水準を達成したのにたいし、国民を餓えさせかねない自給率しか実現できない日本とではいったい何が違ったのでしょうか。
決定的なのは農業政策です。ドイツでは若者を農業に呼び戻すために生活保障などさまざまな支援をおこなっただけでなく、農業が環境保全に果たす役割を評価し、直接支払いも導入しています。むろん、日本でも農業に公的な支援がないわけではありません。しかし、悲しいことに、日本における助成の多くが、農業振興の役を果たすどころか、巨大な安楽死に手を貸すような施策に終始してきたことです。減反政策に見られるような、作らないことに対する支援、水田経営所得安定対策のように、やめていくものに手厚く、新規参入者に厳しい施策は、日本農業を壊滅に導き、再生を危うくするものと指弾したいと思います。農業政策の大きな誤りはそればかりではありません。国は競争力を上げるためとして、大規模化、機械化を推し進めようとしていますが、大規模化すればするほど経営は悪化、消費者の期待にも背を向けている事実に目を向けようとしません。そもそも自然条件に規定される農業を、工業生産品のように利益や採算だけではかることが間違っています。食糧自給は国家独立の基盤、民族自立の誇りです。国土保全の礎です。農業が健全な産業として育成されないことには日本の将来はありません。現在の厳しい自給率の根底には生活できない農家の実態がありますが、そこまで日本の農家を追いつめてきたもう一つの原因が、利益のために自国の農業を踏み台にしてきた他産業の活動があります。自国の優れた技術や種子を海外に持ち出し、栽培を指導し、輸入する。その結果、自国の農業が疲弊し、相手国の環境が破壊されても利益のためには躊躇しない、しかもそうした産業活動に手を貸してきたのもまた、日本の国家なわけです。そして今、自給率40%の担い手は高齢化し、後継者は育っていません。目先の利益と、選挙における票ほしさに迷走してきた農業政策のツケはあまりにも大きいといわずにはいられません。折しも穀物の奪い合い、輸入飼料や資材の高騰をうけて、かろうじて踏みとどまっていた農業現場が崩壊しようとしています。消費者と生産者は今こそ日本農業の再生のため力を合わせねばなりません。自分の利益のためにではなく、未来を担う子供達の利益のために語り合わねばなりません。複雑で、整合性のない農業政策を整理し、若い世代が担い手として育つよう条件整備を整えること、労働に見合う所得を保障する方策を講じることが急務です。食の安全についても、とかく生産現場にばかり厳しい監視や要望が寄せられがちですが、農薬や化学物質を作り、供給する企業への規制を強めるなど、構造的な問題に踏み込むことも必要ではないでしょうか。国家百年の計、という言葉がありますが、農業と教育ほどその言葉がふさわしい分野はありません。手遅れにならないうちに何ができるのか、生産者消費者双方の英知が求められています。

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