☆産経新聞群馬版毎週金曜日掲載で『群馬女性5人のリレーエッセー』が2005年1月からスタートしています。
5週に1回づつ寄稿している浦部農園マダム・オリザの文章を産経新聞の承諾を得て転載します。
No.4 2005.5.27 産経新聞群馬版掲載『群馬女性5人のリレーエッセー』より
今でこそ古代米、といえば赤米、黒米と認知されるようになりましたが、私が古代米に出会った頃は、幻の米といわれるほど希少な存在でした。当時私は長年の公務員生活に別れを告げ食事療法と格闘していました。32歳で発病したベーチェット病は有効な治療法もないままに徐々に悪化していき、40歳で失明間際まで追い込まれていたのです。東京を引き払い夫の郷里である藤岡市に転居した際、難病医療の手続きを通して知り合った方に、はじめて食事療法を取り入れた医療があるということを教わった私は、その方に導かれるままに大阪の甲田医院を受診しました。後にこの先生が青汁少食療法を提唱されている高名な甲田光雄先生と知るのですが、そのときの私は食事療法などで難病が治るわけはないと思っていましたから、症状にあわせて処方されたのが、薬ではなく食事メニューと運動療法であったことは大変な驚きでした。しかもその内容が、どんぶり1杯の青汁、それもたくさんの青野菜をどろどろにすりつぶしただけのものすごい代物を1日に2回飲むだけで、あとはわずかな自然塩と柿の葉茶だけ、それ以外はいっさい食べることを禁じるという厳しいものでした。そのうえ、温水冷水を交互にして最後は冷水であがる入浴法、堅い板の間に裸で寝て、朝はその姿で金魚体操など、今おもうと我ながらよく実践できたものだと思います。しかし不思議なことに全身のあれほどひどい炎症がものの3ヶ月で治まってしまったのです。そのうえ、体重は減り続けるのに肌の色艶はかつてなく良好で、這って上がった階段も駆け上がり駆け下りることができるほど体は軽々と動くのです。そのうえ耳も鼻も目さえもよくなって、霞を食べて生きる仙人とはかくあるものかと思ったほどです。しかし私を失明から救ってくれたこの療法は、11ヶ月しか続けられませんでした。体は確実にいやされていくのに、心が耐えられなくなって軋み始めたからです。そのわけは次回に。