☆産経新聞群馬版毎週金曜日掲載で『群馬女性5人のリレーエッセー』が2005年1月からスタートしています。
5週に1回づつ寄稿している浦部農園マダム・オリザの文章を産経新聞の承諾を得て転載します。
No.5 2005.6.28 産経新聞群馬版掲載『群馬女性5人のリレーエッセー』より
ベーチェット病による激しい炎症は、甲田療法が功を奏し3ヶ月もしないうちに沈静化し始めました。失明を覚悟し、ほとんど寝たきりだったそれまでの事をおもうと、板の間に寝ることも寒中の冷水浴も苦にはなりませんでした。けれど1日2杯しか許されない青汁だけの食事は日増しに堪えられないものとなっていきます。消化器官に激しい炎症を繰り返し食べることが苦痛でしかなかった私にとって、甲田先生の処方のなかで食事療法はもっとも易しいとおもえました。ところが寒中の冷水浴も裸体操も慣れればそれなりに体は順応して、不思議と苦もなく習慣化していったのに対し、炎症が治まることで体は急速に食べることを渇望し始めたのです。そうなるともう毎日が食欲との戦いです。始めた当初はこんなに飲むのかとうんざりした青汁も、楽しみで楽しみで、かむように口に含み時間をかけていただきました。味覚は鋭くなり、ひとくち含むだけでなんの野菜がどれほどはいっているかがわかるようになりました。そればかりか嗅覚、聴覚、視力の全てがとぎすまされていきます。その鋭くなった五感がむく先は食べ物のことばかり。食欲が本能であると思い知りました。はげしい食欲を頭で押さえつける日々がそろそろ一年になろうかという頃、とうとう体が勝手な行動を取り始めました。その異常さを教えてくれたのは母が作った大鍋一杯のこんにゃくの煮付けでした。気がついたらその大鍋一杯のこんにゃくを夜中に一人、こっそりと台所に忍び込み口元まで詰め込んでいたのです。もう入らない、と思った瞬間我に返り、あわててトイレで吐く、そしてまた気がつくと口元までこんにゃくを詰め込み、ふたたびトイレで吐き出す。そうやって明け方までに大鍋一杯をからにしてしまったのです。自分の中に制御できない自分がいる、このままでは心が壊れる、呆然とした私は自分を救ってくれた青汁療法から撤退しようと覚悟を決めたのです。