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☆産経新聞群馬版毎週金曜日掲載で『群馬女性5人のリレーエッセー』が2005年1月からスタートしています。
5週に1回づつ寄稿している浦部農園マダム・オリザの文章を産経新聞の承諾を得て転載します。

No.6 2005.8.23 産経新聞群馬版掲載『群馬女性5人のリレーエッセー』より

1年近く続けた甲田療法のおかげでベーチェットの炎症も治まり、日常生活が普通に出来るようになっていたのに甲田先生からは相変わらず青汁だけしか許可されません。我慢できなくなった私は勝手に玄米食に切り替えたてしまいました。それまで玄米など食べたこともなく、知識もなかったのに玄米食に切り替えたのは、一緒に受診した人たちの中に少なからず玄米食を指示されている方がいたからです。症状が軽くなれば玄米が食べられる、と短絡的に解釈して、自分勝手な食事療法が始まりました。青汁の量を減らして玄米とみそ汁、お豆腐ばどをおそるおそる食べなじめました。そのおいしかったこと!おいしくておいしくて、時として限度を超えて食べたことも、噛むのももどかしく飲み込んだこともあったと思います。おいしいおいしいと食べているうちに今度は胃袋が悲鳴を上げ始めました。胃が荒れて下痢も始まり、どうにも玄米が食べられなくなってしまったのです。玄米は今の自分にはまだ無理だということはわかるけれど、でもいったん逃げ出した青汁療法に戻ることは出来なくなっていました。楽な方に、おいしい方にと心は逃げ込んでいきます。玄米から白米へ、気がつくと食事療法なんてどこかにいってしまいました。そうなると冷水浴もさぼりがち、朝の体操もやったりやらなかったりと、生活全般がゆるんでいくうちに体もゆるんでしまったのでしょうか、再びベーチェットの炎症が頻発するようになりました。甲田先生の指示は正しい。そう思ってもどうしても青汁には戻れません。心が拒否するのです。白米で炎症が起こると玄米食へ、胃が痛くなると白米食へと、基準を持たないままに私の食事は迷走していました。青虫じゃあるまいし一生青汁なんかでいきていくのはいや、どうせ治らない病気なら食べられるときくらいすきなものが食べたいなどと気持ちも投げやりになってきた頃、私は古代米と運命の出会いをしたのです。


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