☆産経新聞群馬版毎週金曜日掲載で『群馬女性5人のリレーエッセー』が2005年1月からスタートしています。
5週に1回づつ寄稿している浦部農園マダム・オリザの文章を産経新聞の承諾を得て転載します。
No.7 2005.10.3 産経新聞群馬版掲載『群馬女性5人のリレーエッセー』より
これまで私は、体が弱いのは生まれつき、大病は運が悪かったからと考え、病気になれば病院に行って手当を受けるのがあたりまえだと思っていました。甲田療法のおかげで、食事が体を壊しもすれば癒しもすると気づきはしたものの、我流ではじめた食事療法では体の揺れが大きくて、良くなっているのか悪くなっているのか自分でもわからなくなっていました。そんな頃、塾通いをしていた娘が東京で行われるテストを受けに行くというので付き添って出かけた会場が、湯島天神の目の前のビルだったのです。日曜日で湯島天神の境内には市が立ち、門前では境内には入れないテキ屋のお兄さんたちの屋台が軒を並べていました。にぎにぎしい屋台の並んだその先にブルーシートを敷いただけの地面に座り込み、小さな袋に申し訳程度の米や稲穂を入れて売っている男がいました。時間つぶしに立ち止まると、炊飯器のふたをあけて、味見をしろとしきりにすすめるのですが、人通りの砂埃をかぶっている釜の飯を試食する気にはとうていなれません。それなのに何か立ち去りがたいものがあって、気がついたら2万円近い買い物をしていました。不思議な色と形のとりどりの稲穂、赤褐色から漆黒までの不思議な色の米、古代米との出会いでした。
色とりどりの古代米を玄米のまま白米に混ぜて炊くのだと説明されたことも、玄米食で苦戦していたときでしたから心惹かれたのかもしれません。家に帰ってさっそく炊いてみたのですが、炊きあがった色の美しさ、馥郁と立ち上る香気、食べてすぐ細胞ににしみ込むように感じたおいしさに私はすっかり魅了されてしまいました。玄米食が体の中心を作ると知りながらも、胃腸の弱さから玄米と白米の間を振り子のように揺れていた時でしたから、ようやく探していたものに出会ったような気がしてうれしくて、これなら続けられる、良かった、助かったと心から思いました。天神様のお引き合わせとさえ思ったのでした。