No.13



☆産経新聞群馬版毎週金曜日掲載で『群馬女性5人のリレーエッセー』が2005年1月からスタートしています。
5週に1回づつ寄稿している浦部農園マダム・オリザの文章を産経新聞の承諾を得て転載します。

No.9 2005.12.2 産経新聞群馬版掲載『群馬女性5人のリレーエッセー』より

【廃業一転設備投資】
 古代米の種籾を入手した当時、我が家の農業は廃業寸前でした。たった一人の息子が東京に出て以来二十年余り、米、麦、養蚕、酪農で生計を立てていた主人の両親は70代後半になっていました。跡取りがいない中、酪農から手を引き、養蚕をあきらめ、ついには麦作りまで断念していました。新しい機械をいっさい導入することなく、機械が壊れるたびに規模縮小をしてきたのです。
 刈り取った稲を米にするまでの全行程を自力でこなしていた時代もありましたが、当時は刈り取った生籾を「カントリーエレベーター」という共同処理施設に搬入して処理した米を売り渡すだけになっていました。
 旧式のトラクターとテーラー、リヤカー、手動の播種機、二条歩行の田植機、旧式の小さなコンバイン、何年も使わずに放置された平置き乾燥機、そんながらくた同然の農機具の寿命と、運命をともにしようとしていた農業経営だったのです。
 有機で米をつくるということの最初の障害は、田の草取りなどの過酷な労働ではなく、乾燥、調整、籾すり、保管の施設を自前で持たなくてはならないことにありました。働き手といえば夫一人となった我が家では、小さな機械一つでもよく考えなければ投資できません。農家の出身ではない私は、古代米を食べたいから植えてください、と無邪気に夫にねだったのですが、そのときの困惑顔がこうした施設の不備に起因するとは思い至ることができませんでした。説明してもわからないと思ったのでしょう。そのとき夫は一人思いあぐねていたようでしたが、結局私の望み通り入手した種籾を植え付ける決心をしてくれたのでした。困ったような悲しそうなそのときの夫の表情は、その後、高価な農業機械を買うたびに何度も何度も思い出したものです。 

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