No.14



☆産経新聞群馬版毎週金曜日掲載で『群馬女性5人のリレーエッセー』が2005年1月からスタートしています。
5週に1回づつ寄稿している浦部農園マダム・オリザの文章を産経新聞の承諾を得て転載します。

No.10 2006.1.13 産経新聞群馬版掲載『群馬女性5人のリレーエッセー』より

「一人働き続けた夫」
古代米栽培にあたり最初に購入したのは乾燥機と籾すり計量器だけでしたが納屋の増築も含め300万以上の出費となりました。支払いは夫が職場で積み立てた個人年金を解約してあてました。保冷庫までは思い切れなかったのですが、幸い暑くなるまでには古代米は売り切れてしまいましたから最初の年は買わなくてもすんだのです。農作業は夫が一人でこなしました。わたしはただ、お天気のいい日にお茶を運ぶだけ。面積も7反ほどでしたから出来たのでしょうが今と違って機械は最低限しかそろえられませんでしたから作業は楽とはいえませんでした。軽トラックもないのでリヤカーが大活躍、牛糞堆肥もEMボカシ肥も手にもったスコップで切り返し、混ぜ合わす。リヤカーで田んぼに運んでスコップで散らし、深水管理のための畦畔もスコップで土をあげてつくりました。春先には浅く水を引いた田んぼにレイキ1本で土を引っ張って、少しでも土を均平にしようと苦労していました。夫の掌は血豆が出来てはつぶれることの繰り返しで、いつしか靴底のように厚く堅くなりました。たった一人で生計を支える夫はいかに農作業が忙しくても東京まで仕事に行かねばなりません。土日百姓で足りない分は帰宅後にこなすことになります。代掻きも夜中なら草取りも夜中、毎朝4時起きして水管理、6時の電車で出勤、夜8時過ぎに帰宅すると土間で野良着に着替えながら古代米のおにぎりをほおばり、キャップライトを頭に草取りに出て行きます。土日は天候にかかわらず朝5時前から夜中12時過ぎまで田んぼです。一夏で15キロはやせるというすさまじい労働でしたが、わずかばかりの栽培では収支は利益どころか赤字続き。こんな過酷な状況なのにそれを己の仕事と心得て、愚痴一つこぼさずこなしていた夫はいったい何を思っていたのでしょうか。今でもあのころのすさまじさを思い出すたび、なぜ彼が投げ出さなかったのかそれが不思議でなりません。

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