2010.2.24 上毛新聞掲載より
食と農を見つめ直して・・・今を生きる者の責務
不況のなか、安値競争が激化している。衣料品や家電はもちろんのこと、食の分野でもその傾向は著しい。
衣料品や家電なら性能に違いがなければ安い方がいい、というのは無理もないが、食品があまりに安いというのはいかがなものか。 農産物は工業製品のように都合良く労働賃金の低いところばかりで生産されるわけではない。再生産費が保障できないような価格で流通しているとしたら、おかしいと思うべき。
食というのはいうまでもなくいのちの基だ。安さに基準をおいては大事なことを見落としてしまう。
牛海綿状脳症(BSE)問題や中国製ギョーザ中毒事件、事故米事件などは、食といのちがつながっている事を忘れた結果ではなかったか。
安売り競争のツケは生産者にまわってくる。再生産費が確保できないから農業に後継者が育たない。
そのうえ一貫性のない農政に翻弄され、結果として自給率40%、担い手の高齢化、後継者不足、耕作放棄地の増大という今日の危機的状況を生み出した。
政権交代で農政の猫の目がまたもやぐるりと動いて生産現場は大混乱だ。
一方で、農業施策の枠外におかれ助成金行政とは無縁であったが故に消費者に支えられてきたのが有機農業だ。今年はJAS法制定後10年の節目の年だが、国産有機農産物の生産は1.4倍の伸びにとどまっている。韓国では42倍、中国に至っては575倍もの飛躍的な拡大を示している違いは農業政策の違いであると同時に、日本の流通業界が国内農業を育てるという視点に立っていないことの表れでもあると思う。輸入オーガニックの伸びが4倍以上であるのもその表れであろう。
これまで日本経済を牽引してきた自動車や半導体、IT関連などの産業構造が危うくなっている一方で、国際市場では穀物相場は上昇しており、今後とも下がる見込みはないという。
安易に食料が調達できる時代はいつまでもは続かない。産業構造が崩れ去ったときにやってくるのが飢餓というのでは子どもたちに申し訳がない。
そんな危機感から昨年、古代米浦部農園の呼びかけにより、多野藤岡有機農業推進協議会、JAたのふじなどが中心となって、「食と農をつなぐいのちの講演会」が藤岡市で開かれた。生産者と消費者が一緒になって農業の再生や食生活のあり方を考える場づくりが目的で、第2回の今年は3月22日に予定している。
今を生きるものの責務として、食と農を一緒に見つめ直してみませんか。
2009.12.29 上毛新聞掲載より
支援の形を見直して・・・新規就農者のために
昭和25年生まれの私の故郷は美濃焼の産地で、友達の大半の家庭が窯業関係の仕事に就いていた。商売の構えは小さくても親が老いれば子どもの誰かが家業を継ぐのがふつうだった。 夫もまた農家の後継者として育った世代だが、農村の疲弊はすでに始まっていて夫は農業以外の道を模索して大学に進んだという。
公務員として暮らしはじめた私たちだったが、縁あって再び農業に回帰する時がきた。就農を決意したときにはまともに使える機械は何も残っておらず、零からはじめたとその時には思ったのだからいい気なものである。
以来20年、有機稲作の技術もほぼ確立し、経営も確立したことから、私たちの農園では数年前から研修生の受け入れをはじめた。 独立自営を目指すことを条件に受け入れるのであるが、有機農業には農外からの希望者が圧倒的に多い。やる気もあり人一倍頑張る彼らだが、いざ独立ということになると簡単ではない。農業機械の調達や運転資金などもそのひとつだが、昨今は新規就農者への公的支援はそれなりに整備されてきている。しかし農外からの参入者は農地と農作業小屋を自力で確保しないかぎり公的支援の対象となる新規就農者として認定されないのが実態だ。
私たちが就農したときには公的支援は何もなかったが、親が残してくれた農地と作業所のおかげで最初の一歩をふみだすことができた。後進を育成する立場になってそのありがたさが今更ながら身にしみる。
後継者のいない農家では農業設備等が使われないままに放置されて朽ちていく一方で、地縁も血縁もない若者が農業をはじめるには、思いきった借金で前へと進むしかない。彼らが投資する資金がはたして一代で回収できるのやらと、気がもめる。その次の世代が家業を継ぐとは限らないのであればなおさらだ。
安心して家業を継げる時代ではなくなって、日本中のあちこちで同じよう事が起こっているだろう。
ここらで行政も支援の形を見直して、今ある設備をうまく使い回せるようなコーディネイト役をかって出ることはできないだろうか。遊休設備を借り上げて整備し賃料を課して貸し出すなど財政負担を伴わない支援のあり方もあるんではないか。
そんなことを考えていたら、久々に実家の姉が電話をかけてきた。息子が跡を継ぎたいといってくれたがあきらめさせたという。もう茶碗屋で暮らしていける時代じゃなくなっちゃったのよね、と嘆息した姉のことばに胸を突かれた。ぐらりと時代が舵を切ったのは感じるけれど、その時代の先が見えない。薄暗がりが広がるばかりだ。
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